地球温暖化の真実: ⑧世界の温暖化対策に対する基本的な理解の仕方

Published: May 22, 2024, 1:13 p.m. (UTC) / Updated: Nov. 25, 2024, 1:06 a.m. (UTC) 🔖 0 Bookmarks
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議論の対象

温暖化対策は広範囲な取組であり、産業や制度として日々発展しているため多くの詳細情報があり、あまり誤解の余地も無いように思われる。また各国の制度や取組内容も大きく異なるため本稿でその詳細を伝えることは目的から外れてしまう。 しかし、何となく信じられている、あるいは広く受け入れられている事柄の中には冷静に考えておかしいことも多くあるため、そういった点についてまとめて指摘することを通じて、本質的な問題の理解の仕方を基礎知識として整理する。

前提事実の確認

主要国の$CO_2$排出

まずは国別の排出量の事実確認をしよう。 特に具体的な対策を考える際に各国の協調が避けられない。 The Global Carbon Budget 2022を見ると以下の2021年の国別の炭素排出量を比較したデータがある。 1位が中国で全体の32%、2位がアメリカで14%、3位がロシアで8%、4位がインドで8%、5位が日本で3%、その他の国地域が残りの39%を占めている。

この事実を見ると要は中国とアメリカの動向が極めて重要な役割であることは明らかだ。このため中国とアメリカに責任転嫁する論調がしばしば見受けられる。 しかし、その他の国地域の39%部分も十分に大きな影響を与えていることが分かる。つまり現在の排出量の主要国だけのコンセンサスで解決できる問題ではない構造になっている。 このためIPCCのような国家横断的でかつ科学的なアプローチを重視した国家間のコンセンサスの確立を促進する機関による長期的な取組が重要になる。


IPCCは科学的な研究機関ではなくコンセンサス確立のための機関であるため、例えば「気候システムにおける人間の影響」という主題項目において第5次の時点では「気候システムの温暖化には疑う余地が無い、気候システムに対する品減の影響は明瞭である」といった宣言をする合意が得られたが第6次においては一歩踏み込んだ具体的表現で「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地が無い。広範囲にわたる急速な変化が、大気、海洋、雪氷圏及び生物圏に起きている。」という宣言が採択されている。宣言すべき項目は広範囲にわたるため詳細はIPCCの報告書をあたって頂きたい。

主要国の電源構成

次に主要国の電源構成も確認しておこう。IEA(World Energy Balance 2022)のデータによると以下のようになっている。 中国とインドの石炭消費が突出していることが分かる。 米国やロシアは天然ガス資源が豊富であるためLNGに支えられている様子がうかがえる。 カナダとブラジルの水力もひときわ目を引く。 フランスの原子力の大きさも目立つし、欧州勢の太陽光・風力発電の取り組みが進んでいる様子もうかがえる。


実際、欧州は再生可能エネルギーの先進国で$CO_2$規制も厳しことで知られている。 一方で日本はいまだに火力発電に頼っていて遅れているというイメージが定着している。 確かに欧州全体では再生可能エネルギーの割合が多いが、フランスが突出して原子力発電をしている。


欧州の場合、日本と同様に化石燃料の天然資源が乏しく、ロシア産のLNG(天然ガス)に依存してきたが政治的な面で安定供給に不安があった。(実際、ロシア産天然ガスを欧州に輸出するノルドストリームで2022年9月26日に爆発が発生した。)LNGはドイツをはじめ欧州のアキレス腱であるため、LNG依存からの脱却はかねてからの大きな課題であった。 かといって石炭を使うのは環境保護団体の影響力が強い欧州では難しい。 しかしドイツでは原発ゼロを推進する手前手詰まりとなる。 そこでフランスから原子力由来の電力を輸入すれば自国に原発がないため国内法的に問題が無いことになる。 このような背景があり結局、欧州全体でまとめてみると3割弱は原子力に頼っていることになる。


ちなみに、蛇足だが上記のようなわけだから日本で時々見られるような次のような主張は根本的な理解が間違っていることは、上記を理解した読者は正しく指摘出来るだろう。
ドイツは素晴らしい。日本もドイツのように原発ゼロにむけて再生可能エネルギーを入れて、かつ化石燃料も使わないようにしよう。


また、欧州では再生可能エネルギーのうちバイオマス発電にも力を入れてきた経緯がある。しかし、上記のバイオマス発電の節で指摘したようにEU内でもバイオマス発電への評価は変わる可能性がある点は注意が必要だ。

発電方式別の発電効率と$CO_2$排出

事実確認の章の最後に、世の中にはどういう主要な発電方式があり、その発電効率や$CO_2$排出の有無はどうなっているのかを確認しよう。

発電方式 発電効率 kWh当たりの$CO_2$排出量
太陽光 20% NA
風力 20-40% NA
水力 80% NA
地熱 10-20% NA
バイオマス 20% 1257g
原子力 33% NA
LNG(単体) 38% 476g
LNG(GTCC) 57% 310g
LNG(GTFC) 63% 280g
石炭(通常) 34-40% 958g(世界標準)
石炭(USC) 40-48% 806g
石炭(IGCC) 46-50% 650g(1700℃級)
石炭(IGFC) 55% 590g

しかし、高効率なLNG(GTFC)の方式であっても1kWhあたり280gの$CO_2$を排出するのだから、それが世界中で蓄積すれば当然ながら大きなインパクトとなることは避けられないだろう。

そののように考えて見ると次の疑問が出て来るであろう。

原子力発電はクリーンか?

原子力発電に関してしばしば言われる主張として以下のようなものがある。

  • 原子力発電は「クリーンエネルギー」である
  • 原子力発電はエネルギー効率がよく「安価な電力」である
  • 原子力発電所が事故を起こした場合の被害は甚大であるため絶対に原子力発電を許してはならない

これらを検証してみよう。

原子力発電が「クリーン」なはずがない

原子力発電は「$CO_2$を排出しないからクリーンである」という議論は本質的に論理が破綻していることを指摘しておく。 そういうことを言う人は$CO_2$を排出しないことが目的化してしまっていてそこで思考が停止しているのだろう。そもそも何故$CO_2$を排出すべきではないのか?それは地球温暖化が予見されその結果として人類の居住条件が著しく悪化する可能性があり、野生の動物や植物等の生物多様性に対しても甚大なる被害が予見されるからに他ならない。 つまり人々の居住条件を著しく悪化させる可能性や生物多様性に甚大な被害を引き起こす可能性が無いものが本来の趣旨に照らして「クリーン」と言って良いということになる。 これに対して原子力発電所に事故が起きた場合の被害は言うまでもない。 よって原子力発電が本来「クリーン」なはずがない。

原子力発電はエネルギー効率がよく「安価な電力」なのか?

原子力発電のエネルギー効率は上図の通り33%程度である。他の代替エネルギーの効率の悪さに比べれば良いが、化石燃料系の火力発電に比べれば見る影もなく低い。これではエネルギー効率の良さは謳えないだろう。


ではプライスはどうだろう?以下が日本の資源エネルギー庁が開示している原子力発電の単価の内訳だ。東日本大震災による原発事故の教訓を活かしてコストの算定方法を大幅に修正した結果である。

原発のコストは以下の通り「発電原価」と「社会的費用」に分けることができる。こうした積上げ計算により発電コストは1kWhあたり10.1円となる。

  • 発電原価:発電施設の建設と運用に関わるコスト。具体的には施設の建設費、燃料費、運転維持費、また使用済みの核燃料を加工して再度燃料として利用する核燃料サイクル費や、廃炉措置をとった場合にかかるコスト(バックエンドコスト)などを含む。また、2013年に定められた新規制基準にもとづく追加の安全対策費などもここに含む。
  • 社会的費用:賠償費用などの事故リスク対応費用と原発建設地への立地交付金など(税金)のことで、原発の運用に間接的に関わるコスト。事故リスク対応費用は、福島第一原発での事故対応費用を参考に、120万kWの原発1基が事故を起こした場合を想定して、約9.1兆円と想定している。

このような考えで計算された発電単価を電源種別ごとに横比較をしてみよう。

なるほどこうして横比較すると確かに原発の発電コストは競争力がありそうだ。 「安価な電力」自体は謳えると言えそうだ。

原子力発電所が事故を起こした場合の被害は甚大であるため絶対に原子力発電を許してはならないのか?

この問題も政治的な問題が絡んでくる難しいテーマであろう。 ここの論点は二つだ。

  • 「被害が甚大」とは何と比べて甚大と言えるのか?
  • 新規の原発を許さないことが想定している問題への解決策として妥当なのか?

日本の資源エネルギー庁は事故リスク対応費用は、福島第一原発での事故対応費用を参考に、120万kWの原発1基が事故を起こした場合を想定して、約9.1兆円と想定している。それでもkWh当たりの単価でみれば0.3円のインパクトしかない。 これは絶対許せないくらい多いのだろうか?


更に、我々の元々の問題はもっと深刻だったはずだ。$CO_2$濃度の増加を放置すると人類全体が被害を被る、自然全体が被害を被ることになり超長期的に回復が望めない地球環境になってしまうことが問題であった。地球のごく一部で稀に発生する原発事故は、良くも悪くも地球全体の環境を脅かすような甚大な脅威にはならない。つまり、事故が起きた場合の地域住民にとっての被害は当然甚大であるが、地球全体の環境問題の深刻さ甚大さに比べれば甚大とは言えない


次に、新規の原発を許さないということは、例えば日本では火力発電に頼ることを意味するのだが、これは$CO_2$排出の観点から見たら我々の子や孫を真綿で首を締めるような行為に他ならない。自分が生きている間だけは原発は許さないから火力を使えばいいが、それによって将来の世代が住めない環境になっても自分は苦しまないから構わないという態度はあまり尊敬を集めることは無いだろう。


つまり、「地域住民に甚大は被害をもたらす可能性を排除するために新規の原発を許さない」という主張は、「将来の地球の住人に甚大な被害をもたらす可能性を食い止めるために原発を(一時的にでも)導入する必要がある」という主張に打ち勝つほど強いようには思えない

それでも残る高レベル放射性廃棄物にまつわる疑問

原子力発電ではウラン238を元にして、プルトニウム239が生成される。プルトニウム239は、原子炉の燃料棒に含まれるウランの同位体が核変換を起こすことによって生じる。 プルトニウム239はウラン235と並んで高い核分裂性を有する。特に高純度のプルトニウム239は、兵器級高濃縮ウラン235よりも格段に安く大量生産できるため、核兵器や原子力発電所で利用されている。 このプルトニウム239の半減期は24,000年である。


放射能が半減するまで2万4千年!4分の1になるまで5万年!その頃には次の氷期が訪れているし人類が生き残っているかも怪しいものだ。 この位のタイムスケールの話になると常識的な想定に意味がある範囲を超えている。 高レベルの放射性廃棄物は地中深くに埋めておくことになっているが、それを管理している国家がテロリスト国家になった場合何が起きるのか?と言ったSFじみた想定すら普通のシナリオとして当然起こり得るタイムスケールになってくる。むしろ「まともな国家による管理」という常識など神話のように全く信用できない前提ではないだろうか。


一方で高レベル放射性廃棄物の最終処分施設について、先進国の政府の官僚や学者を集めてワーキンググループを設定して議論して管理の枠組みや法律を決めて来たはずだが、良識あふれる常識的で正式な会議の場所で万年単位の非常識な想定を議論できるはずもないのでどのように意思決定されているのか疑問である。


5万年分の管理計画を誰が誰に提出してその予算を誰が承認するのだろうか?
ここは将来の技術革新によって誰かが上手いことやってくれるだろう、ということなのだろうか。だとしたら楽天的過ぎるのではないだろうか。

バイオマス発電はクリーンか?

バイオマス発電とは

バイオマスとは、動植物などから生まれた生物資源の総称で、バイオマス発電はこの生物資源を「直接燃焼」したり「ガス化」するなどして発電する。 バイオマス燃料の原料分類 はこちらの図を見ると多岐にわたる燃料を用いていることが分かる。

間伐材、家畜排泄物や生ゴミ、麦わら、籾殻、稲わら、古紙など何でも燃やして、何とかして新しいエネルギー源とする取組・研究が盛んにおこなわれている。それ自体は素晴らしい取り組みであり、こうしたことから技術革新が生まれる可能性もある。

「バイオマス発電はカーボンニュートラル」に騙されてはならない

さて、このバイオマス発電は発電効率は20%程度で、1kWh当たり1257gもの$CO_2$を排出するという。この発電パフォーマンスは明らかに化石燃料の火力発電に大きく劣る。何故こんなものが正当化されて「クリーンエナジー」の仲間に入れられているのかというと「カーボンニュートラル」という概念があるためだ。


バイオマス発電は、燃料となる植物の燃焼段階での$CO_2$排出と、植物の成長過程における光合成による$CO_2$の吸収量が相殺されるから「カーボン・ニュートラル」であると説明されることが多い。しかし、これは「燃焼」による$CO_2$の増加分に対して、植物が元通り再生される過程で同量あるいはそれ以上に$CO_2$を吸収する前提にたっている。


よって再生されるより早く森林を伐採したら元通り再生されなくなるため、カーボンニュートラルは成立しない。 これを評価せずにバイオマス発電はカーボンニュートラルだからクリーンエナジーだと呪文を唱えている思考停止している。 ではここで Global Forest Resources Assessment 2020による世界の森林面積の推移を以下の表で見てみよう。

森林面積(1000 ha)
1990 4,236,433
2000 4,158,050
2010 4,106,317
2020 4,058,931

30年間で世界の森林は4.2%も減っている。 この時点でマクロでバイオマス発電が正当化出来る根拠である「植物が元どおり再生される」前提が崩れているので論理的に「カーボンニュートラル」は成立しないことが確認出来る。実際に、EUの共同研究センターは、バイオマス発電は炭素中立であるという想定は「正しくない」とCarbon accounting of forest bioenergy で述べている。

マイナーな反論への補足説明

これに対して細かい反論があることは当然承知している。例えば森林だって微生物の働きで木が分解されて$CO_2$を排出するのだから、その分を燃料に使用しても同じことでどうせ排出されるなら燃料にしてもいい
という主張がある。これは我田引水の詭弁の類であるが、分かりにくいので騙される人がいるといけないので正しく説明しよう。

根本思想をもう一度整理する。
カーボンニュートラルの本来の概念は、「植物界」と「人類界」の間での大気を通じた$CO_2$のやり取りがプラスマイナスゼロとなることだった。


上記の詭弁は、「カーボンニュートラル」の解釈対象を広げて「土壌界」まで登場させて、「土壌は炭素固定主体ではなくて実は$CO_2$排出主体である。この$CO_2$排出分はこれまで排出されててもニュートラルを保てていたのだから、自然分解の代わりに人間が排出しても出る分は同じだから大丈夫」と言っている。

しかし、カーボンニュートラルの概念を「土壌界」まで含めて修正するなら、「植物界」、「土壌界」そして「人類界」の間での大気を通じた$CO_2$のやり取りがプラスマイナスゼロとなることとしなければならない。 ここで炭素の吸収源は「植物界」しかない。「土壌界」の$CO_2$の放出速度はこれまで極めて穏やかであり、同じように穏やかな「植物界」の吸収により保たれていたのが「ニュートラルな均衡水準」だ。しかし人為的に「土壌界」の放出速度だけを速めたら当然ながらニュートラルは保てるはずがない。 人為的に「土壌界」の排出速度を速めるなら、人為的に「植物界」の吸収速度を同量だけ速めることをしない限り、崩れた均衡は保てるはずがない

バイオマス発電の悪影響: 不当な森林伐採の促進

欧州科学アカデミー諮問委員会(EASAC)は、EUが森林を伐採する歪んだインセンティブを与えた点を指摘している。 バイオマスエネルギーの役割に関するEASACの欧州委員会委員長との書簡というものがある。

この中でEASACは「森林バイオマス燃焼エネルギーをEUの再生可能エネルギー目標に貢献するものとして記録することが法的に義務付けられたことで、エネルギーとして燃やすためにヨーロッパなどで木を伐採する需要が生まれ、本来なら森林に閉じ込められているはずの炭素が大気中に放出され、同時に森林生態系の炭素吸収力が大幅に低下するという逆効果を招いている。」としている。

実際に、Wood Resource Balances ofEuropean Unionを見るとバイオマス燃料として使用された木材資源の方が、正規のバイオマス用燃料として森林から伐採等で収集された木材よりはるかに多い。 この差分の中身は統計の不備もあるものの不当に森林資源が伐採されているものある懸念が示されている

EUはバイオマス発電の先進地域で、家庭の暖房を賄うなど実績を上げていてこの流れが今後も継続すると見られるが、バイオマス発電がカーボンニュートラルに貢献しないとなると、いずれ大幅な方向性の転換が強いられるだろう。

カーボンニュートラルと達成目標

2050年にカーボンニュートラル達成という目標

ここではカーボンニュートラルとは、$CO_2$をはじめとする温室効果ガスの「排出量」 から、植林、森林管理などによる「吸収量」を差し引いて、合計を実質的にゼロにすることを意味する。COP26が終了した2021年11月時点で、154カ国・1地域が2050年等の年限を区切ったカーボンニュートラルの実現を表明している。 これらの国における$CO_2$排出量とGDPが世界全体に占める割合は、それぞれ79%、90%に達した。

以下の図は、年限付きのカーボンニュートラルを表明した国・地域である。


これらの目標は是非実現のために頑張って欲しいものだが、 2050年までの主要国がカーボンニュートラルが実現出来たとしても、過去に自然界に蓄積してきた分が消えてなくなる訳ではない。 2050年の時点で温暖化が相当進行してしまっていたら取り返しがつかないということでは元の子もない。 この問題について少し考え方を整理しておきたい。

ストックとしての炭素中立性

現在のカーボンニュートラルの概念は、年単位での収支の均衡のことまでしか考えていない。 しかし本来は、人類はバイオマスなり化石燃料で過去に出した$CO_2$の分を吸収出来るように植林なりをして穴埋めをすべきだろう。 そしてこれまでの人為的な活動によって自然の均衡を崩し続けてきたことが問題である事実を考慮すると、産業革命前の水準まで戻すことが出来て初めて「ストックとしてニュートラル」と言えるのではないだろうか。 (ちなみに農業革命前まで遡れればベストであろうが、そうするとミランコビッチサイクル的には現在の地球環境は結構寒いらしい。)

ここで産業革命以来$CO_2$を急増したことが問題の根幹にあるという共通認識を踏まえて、ストックのゼロ点は産業革命前の状態と定義しよう。 そして仮にその排出総量は各国別に計算可能だとしよう。 すると各国の過去からの積み上げの$CO_2$排出総量が、その後削減すべき各国の「地球に対する$CO_2$負債」となる。 当然、先進国や二酸化炭素排出量の多い国は巨大な負債を負うことになる。 これに対して植林や技術革新によるゼロエミッションの実現によりこの負債を減らしていくことが求められる

しかし、「地球に対する$CO_2$負債」という概念は既に大量の$CO_2$を排出してきた国としては認めがたい不都合な現実である。このため、誰のせいでこうなったかは一旦棚上げして、あとどれくらい排出してもギリギリ大丈夫そうかという残余カーボンバジェットという概念を国際間調整に使っているのがIPCCの現状だ。「気温の上昇を産業革命前対比で2℃以内に抑えるにはあと$900Gt CO_2$しか排出出来ない」と言った概念だ。

排出権取引の課題

ところで現在の世界の排出権取引は毎年の排出権枠(キャップ)に対して、差分をトレードする仕組みになっている。 今年100単位だけ排出して良いところを120単位排出したら、市場から20単位の排出権を買って来る必要がある。逆に80単位しか排出しなかった国は市場で20単位売却することで儲けることが出来る。 これはこれで毎年の排出枠を世界全体で抑え込むという観点では役に立つ考え方だ。


ただ、毎年の排出枠が各国の削減目標設定に依存する枠組みである点が課題になる。 排出枠が毎年リセットされてしまうと「地球に対する$CO_2$負債」へのインパクトを可視化しないで良くなってしまう。 対策が遅れれば遅れるほどその国の「地球に対する$CO_2$負債」が積み上がることを意識しなくなる。 後から取り組むと後でもっと辛くなることが見えている仕組みと、後から取り組んでも今から取り組んでも大変さは変わらない仕組みだったら、前者の方が真面目に取り組むインセンティブが強いのは明らかだ。


このように考えてみると、火力発電を行う電力会社は排出した$CO_2$分に相当する植林なりをする義務を持ちそのコストは電力単価に上乗せする法律にするのは如何だろうか。そうすればLNG火力のGTFC転換や石炭火力のIGFC転換が迅速に進められる助けになるのではないだろうか。


例えば日本は森林の多い国家だが、森林に価値がつかず捨て置かれているくらいメンテナンスが酷い状態だ。しかし、山林所有者の高齢化によりメンテナンスが放棄された山林を地域に根差す電力会社が買い取り、その責務として健全で広大な山林を所有し自然環境を保護しているとなればいかがだろうか。

電気自動車(EV)は貢献するのか?

電気自動車(EV)はその国の電源構成と密接な関わりがるためここで取り上げる。 確かにEVからは二酸化炭素を排出しないが発電所で発電している電気を利用している。その発電所では化石燃料を燃焼させて発電した場合相当の$CO_2$が排出される。そしてこの発電時点で相当のエネルギーが消失してしまい、更に発電した電力は電力系統を辿って家庭等に届くがこの託送の過程で更に消失してしまい、結局の手残りはかなり少ない。発電所経由は効率が悪いのに、その発電所に頼るEVは実際は二酸化炭素の排出削減にあまり寄与しないのではないか?

この問いに対する回答となる京都大学の藤森らの研究がある。 それによると以下の結論が得られている。

  • 電気自動車の導入により交通部門由来のエネルギー消費量は大きく減少し、自動車由来の直接$CO_2$排出量も抑制されるが、現状の日本のように発電システムが火力発電に依存する場合、人間社会全体からの排出量は逆に増加してしまう
  • 自動車をすべて電気自動車にして、発電システムを再生可能エネルギーに置き換えることで、$CO_2$排出量は 2割程度削減することができる
  • 自動車の電化だけではパリ協定の 2℃目標には程遠く、目標達成のためには家庭 産業 交通のエネルギー需要、発電を含むエネルギー供給が総動員で脱化石燃料化する必要がある

つまり、EVに関する限りは原子力や再生可能エネルギーの普及や火力発電の削減が無ければ意味が無い。イーロンマスクも気付いていると思うが、アメリカや日本でEVに乗っても別にエコロジカルではない。別の言い方をすれば、SGDsというマーケティングの一貫でEVを推進する風潮は火力発電が削減できなければ理に適う行動ではない。企業や消費者はEVにどういう価値を求めているのか改めてよく考えるべきだろう。

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